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天理教の修養科は本当におすすめなんです。


修養科で見つかる心のつながり
修養科で見つかる心のつながり

天理教の修養科って聞いたことありますか?


天理教には修養科という心を見つめ直すための3か月間の修養学校があります。


宗教の「修養」とか聞くと、山の中のお寺で頭を丸坊主にして座禅を組んで長い板でピシッとか、道場のようなところに監禁されて頭にヘッドギアつけて洗脳されるみたいなイメージを持つ方もいるんじゃないかと思いますが(僕だけかも・・・)、天理教の修養科はそういう感じとはちょっと異なります。


じゃあどういう感じなのかと言うと、修養科は詰所(つめしょ)という宿舎に寝泊まりをして、修養科という学校に行く寮生活のような感じで、一つの施設の中でずーっと軟禁状態という感じではなくて、どちらかと言うと高校生活のような感じに近いかと思います。



修養科に行くとどうなるの?


修養科に入学する動機は人それぞれ千差万別で、


  • 天理教の勉強がしたい

  • 人生を見つめ直したい

  • 病気を助けて欲しい

  • 夫婦仲を見つめ直したい

  • 考え方を変えたい


というのが大体の基本的な志望動機ですが、


中には

  • 借金取りから逃げてきた

  • ストーカーから逃げてきた

  • DV旦那(彼氏)から逃げてきた


というような方もおられたりします。


そういった方々が3か月間の生活の中で、天理教の教えを学び、自分の心を見つめ直していく中で、不思議に病気が治ったり、厄介な事情が解決したりすることも決して珍しいことではありません。


また、この3か月間という期間、年齢も立場も違う見ず知らずの人たちと寝食を共にしたり、天理教の教えを学んだりしていく中で、自然と心が澄んでいって、元々自分自身が持っている素直な良い心に気付き、損得抜きで人のために何かしたいなという気持ちに変化していきます。


そうした心の変化が起きることが修養科の一番の特徴で、現代病の代表格ともいえる「うつ」などにとっては最良の療養環境ではないかなとも思いますし、人のために何かしたいという気持ちの変化は、仕事に対するストレスや不満を大幅に改善することにもつながります。


何と言っても「人間は心で生きる生き物」なので、その心の向きというのがすごく大切であり、人生を大きく左右するものなので、その”心の向きを自らの意志で根本から見つめ直せる”というのは、修養科の大きな魅力の一つではないかなと思います。



具体的にどんな感じなの?


修養科は昭和16年(1941)から始まり、1月ごとに〇〇期生と数えて、2024年10月に入られた方々で1000期生となるので結構歴史があって、修了者の数もものすごいことになっていて、具体的にと言っても本当に色んなパターンがあるのですごく難しいです。


相対的に言えるのは、

大体の人は心がすっきりとして明るい表情になられるということ。


中には、

  • 「がんが消えた」

  • 「30年間連絡のなかった妻が帰ってきた」

  • 「冷え切った夫婦仲がすごく良くなった」

  • 「車いすで入学した人が歩いて帰って行った」

  • 「主人の脳腫瘍が消えた」


など、リアルな社会生活ではあまり目にすることのない奇跡的なことも、100%とは言えませんが割とちょいちょい耳にすることもあります。


ただ、御利益を目的として信仰するものでもありませんし、あまり表立ってこういうことを言うと、今のご時世で誤解を招くことになるとダメなので、あまりおおっぴらには公表はされませんけど、そういう不思議なことが起こるのも修養科の魅力と言えばそうなのかもしれません。


あくまで修養科の存在意義は、この世界をお創りになった親神様の「人間が陽気ぐらしするのを見て、神も共に楽しみたい」という思いに気づき、自分の心を見つめ直して、陽気ぐらしの心に建て替えていくための学びを得る場所ということにあります。


そうして学んでいく中で、人の心に変化が起き、その変化に応じた姿が現れてきて、それを不思議や奇跡と感じるというのが、親神様が創られたこの世界のメカニズムであり、それを目の当たりにする確率が高くなるのも修養科の魅力だと思います。


要は、

修養科は自分の心を見つめ直す場所であるということです。



修養科のことをもう少し知りたい人


「修養科ってのが気になるんだけど、もう少し詳しく知りたいんだよね」という人は、このサイトの修養科ページでもう少し詳しく説明しているので、そちらを読んでいただくか、お近くの天理教の教会をお尋ねになって「修養科ってのがあるって聞いたんだけど、ちょっと教えてもらえませんか?」と聞いてもらえば、きっと丁寧に教えてもらえると思います。(料金とかは発生しないのでご安心を)

 
 
 

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