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教会はみんなの心の居場所でありたい
天理教上竹田分教会は人の心の拠り所となることを目指していて、天理教の信者さん方だけでなく、誰でも「ちょっと寄っていこう」という場所になれればいいなと思って運営しています。
なので、
一般的によくイメージされる「宗教=滝に打たれて修行」「一言も発してはいけない座禅」という感じではなくて、(したい人は止めませんけど)昨日あった出来事や最近思っていることとかを話し合ったり、日頃のちょっとした悩みや愚痴を聞かせてもって、来られた時より少しでも心が明るくなって帰ってもらえればいいかなと思っています。
そうして、
教会に出入りしているうちに、自然と人のことが思いやれるようになっていったり、不満に思っていたことが気にならなくなったり、毎日の生活の中で喜べることが増えていったりするようになってもらえれば嬉しいなという感じでいます。

おつとめって何?
天理教の教会が近くにあると、朝夕に拍子木や太鼓の音が聞こえてくると思いますが、あれは何をやっていると思いますか?
「宗教のやつだな」と思う人もいれば、それを「目覚ましに丁度いい」と言う人や、「うるさいな」と腹を立てられる人もいます。
あれは「おつとめ」と言って、朝夕に神様に感謝を申し上げ、病気ややっかいな事情で困っている方のたすかりを願い、自分の良くない心遣いをお詫びし、日々を陽気ぐらしの心で過ごすことを誓い、究極的には世界平和を願う神様から教えて頂いた最大限の祈りの行いです。
あのおつとめは、ただドンチャンドンチャンと楽器を打ち鳴らして、わけのわからない民謡を歌って、ヘンテコな踊りを踊っているように思われると思いますが、実は相当深い意味が込められていて、また勤め方にもフィルハーモニーに勝るとも劣らない精神性が必要なんです。(嘘じゃないですよ)
できることなら、
一緒につとめてもらえると嬉しいですし、つとめてみれば今言ってる意味が分かると思いますので、ぜひご一緒に。



