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天理教の教えについて

天理教の教えは教祖(おやさま)中山みき様によって伝えられました。

天保9年10月26日、中山みきが41歳の時、この世と人間をお創り下された親神様が突如その身体に入込まれ、「人間の本来あるべき生き方」と「陽気ぐらしへの道」を説き始め、それより50年間、90歳で姿を隠されるまで伝え続けられました。

その間のおやさまの「言葉」「書き物」「行い」が天理教の教えであり、その教えを学び、おやさまの心を目標とする生き方が天理教の信仰となります。

ということで、

​それでは教えの中身について順番に説明していきます。

天理教の教えと原典

親神様の教えはおやさまのお姿がある間は直接教えてもらうことができたのですが、おやさまがお姿をお隠しになられた後は直接教えてもらうことはかないません。

そこで天理教の芯となる真柱(しんばしら)様が、おやさまの教えが正確に後世まで伝わるようにと、おやさまにまつわるどんなささいな情報でさえも徹底的に集められ、さらにその情報が正確かどうかの検証を何度となく繰り返し、間違いないと断定されたことのみをジャンルごとにまとめ上げて書き物として残されました。

それが天理教の三原典と言われる「おふでさき」「みかぐらうた」「おさしづ」と、おやさまのご生涯がまとめられた「稿本 天理教教祖伝」「天理教教祖伝逸話編」、そしてこれらをもとにして作られた「天理教教典」で、これが天理教の教えの教義書として公刊されました。

天理教の三原典

天理教の教えは「おふでさき」「みかぐらうた」「おさしづ」の三原典が超根幹部分なのですが、これがなぜなのかと言うと、この3つはおやさまが直接書かれたものであるか、またはおやさま自身が確実におっしゃられた親神様の言葉だからです。

つまり純度100%というわけです。

そうなると、

「この3つの違いは何?」ということになるかなと思うので、次にそれぞれについてなるべく分かりやすく説明します。

原典①おふでさき

「よろつよのせかい一れつみはらせど
 むねのハかりたものハないから」

           <第一号 - 1>

 

これが「おふでさき」の冒頭部分となるんですが雰囲気が分かりますでしょうか?

 

​日本人ならピンと来られた方もいると思いますが、これは「五・七・五・七・七」の和歌調で書かれてあって、書かれた時期ごとに第一号から第十七号まで号分けされていて、トータルで1711首のおうたで構成されています。

そしてこれが原典のトップバッターになっているのは、ズバリ親神様の思いが赤裸々に描かれているからなんです。

最初のうちは「ふーん」って感じなんですが、書かれた当時の時代背景を学びながら、何度も何度も繰り返し読んでいると、神様の思いや世界観が心の中でイメージできるようになり、またそれが実生活の中に生きてくるようになると、何とも言えない深い味わいのあるものだということに気づくと思います。

原典②みかぐらうた

あしきをはらうてたすけたまへ
てんりわうのみこと

​      <みかぐらうた 第一節>

これが「みかぐらうた」の冒頭部分です。

 

天理教の教会が近所にある方は、朝夕に「おつとめ」の拍子木や太鼓の音が聞こえると思いますが、この”みかぐらうた”はその”おつとめ”の時に歌われる地歌です。

みかぐらうたは第一節~第五節まであります。

第一節は、

「親神様への誓い」「親神様へのお願い」​

第二節は、

「親神様からのお願い」「この世界の原理」

第三節は、

「親神様へ誓いと願い」「親神様からの約束」

第四節は、

「親神様の思い」「陽気ぐらしへの道」

第5節は、12下りに分けられていて、

「具体的な人間の心の歩み方」

「具体的な親神様のお働き」

という感じの構成になっています。

最初に言ったように、

この”みかぐらうた”はおつとめの地歌になっているので、この歌に合わせて鳴物を奏で、”ておどり”を踊るんですが、これを「声」「心」「行い」を一つにしてつとめることで、陽気ぐらしの一端を感じられるようになり、これもまた味わい深いものであると思います。

原典③おさしづ

「さあ/\月日がありてこの世界あり、世界ありてそれ/\あり、それ/\ありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで。」

                       <おさしづ 明治20年1月13日>

これは「おさしづ」の有名な一文です。

おさしづは”おやさま”や本席(ほんせき=飯降伊蔵)様が親神様のお言葉をお伝えになられたことを、傍にいる書記係がその場で書き記したものです。

おさしづは大きく分けて2種類あって、

①刻限話=親神様からの教え

②伺いのさしづ=人間が尋ねたことに親神様が答えられたこと

おさしづは超膨大な量で、しかも当時の大和言葉がっつりで難解な感も否めないので、天理教の人でもあまり目にしたことがないという人が結構いるんですが、このおさしづこそが実は結構身近なテーマのものが多いので、時間がかかってでも読んでいくと、物事のとらえ方や生活の中で気を付けることなどがすごくリアルに養われるので、天理教の信仰者としては大変おすすめだと思います。

天理教教祖伝・逸話編

天理教では、三原典を通して教えを学ぶことと同時に、教祖(おやさま)のひながたをたどることが人間本来の陽気ぐらしの生き方であると教えられます。

ひながたというのは、おやさまのお通りになられたご道中のことで、もう少し言えば「どのような御心でお通りになられたか?」ということです。

そうなると、

教祖がどのようなご生涯を通られたか?ということを知らなくては、ひながたをたどろうにもお手本がないのでたどりようがありません。

そこで上記の三原典同様に、伝え残された教祖のご生涯の情報を徹底的に集めて、その情報を幾度となく精査し、限りなく事実と断定できるものをベースに、書き物としてまとめられたのが「稿本 天理教教祖伝」及び「教祖伝逸話編」です。

「稿本」というのは、まだ完全に完成していない(=知らない情報もある)ということを示していて、おやさまご自身が書かれたわけではないので、まだ未知な情報があるかもしれなくて、変更される余地を残しているという意味があります。

 

​では、

「稿本 天理教教祖伝」と「教祖伝逸話編」をもう少し詳しく説明していきます。

「稿本 天理教教祖伝」

「稿本 天理教教祖伝」(以下”教祖伝”と略します)というのは、教祖・中山みき様の誕生から姿をお隠しになるまでの90年間を、10個の章に分けて書かれている伝記のような本です。

10章は次のようにタイトル付けされています。

  • 第一章 「月日のやしろ」

  • 第二章 「生い立ち」

  • 第三章 「道すがら」

  • 第四章 「つとめ場所」

  • 第五章 「たすけづとめ」

  • 第六章 「ぢば定め」

  • 第七章 「ふしから芽が出る」

  • 第八章 「親心」

  • 第九章 「御苦労」

  • 第十章 「扉ひらいて」

読んでみると分かるのですが、

教祖伝は通常の伝記のように誕生からは始まりません。

まず始めは天理教がはじまった経緯、つまり中山みき様41歳の時に、親神様がその身体に入込まれ、世界中の人間をたすけ上げたいという宣言から始まります。

これはなぜかというと、

41歳までは人間・中山みきであり、親神様が入込まれて後からが天然自然の理を説かれる教祖(おやさま)となられたということをはっきりと線引きするためです。

​つまり、

人間の倫理・道徳と親神様の教えとは全く別物だということを認識するためです。

教祖のご生涯はこの点を心に治めるように苦心されたと言っても過言ではなく、この点に関しては、三原典すべてにも共通していると言えます。

そして何より、

この天理教教祖伝は、親神様の「人間が陽気ぐらしをするのを見て神も共に楽しみたい」という親心あふれるこの世界の仕組みを、あらゆる手段を講じて進めて行かれる教祖の一代記であり、その背景にある”をやの心”を少しでも自分の心に治めていくための道筋の指南書でもあります。

おやさまのひながたから何を学び何を実践していくのか?

 

それはこの教祖伝を何度となく読んでいくとうっすらと見え始めて、気付いたことから身に行っていくことでだんだんと鮮明になっていきます。

​要は読んでみないと始まらないわけです。

天理教教祖伝逸話編

「稿本 天理教教祖伝」は教祖の生い立ちからお姿をお隠しになられるまでの50年間の歩みと天理教の成り立ちが書かれたものでものですが、この逸話編は教祖ご自身と教祖を慕った周りの人たちのエピソード集という感じのものです。

これも天理教内の数多ある教祖にまつわるエピソードを徹底的に集められ、幾度となく精査し、その中でも確実で明確な御話のみを厳選して書かれたものです。

​全200話で構成されていて、すべてのお話に教えの要素が入っているのですが、この逸話編は割と身近に感じるお話も多く、実生活の中で実践しやすい参考書と言ってもいいかなと思います。

ライトな感じで読めばエピソード集にもなりますし、教祖の優しさが感じられる温かみのある書とも言えますし、また深く読み込んでいくと、天理教の信仰の在り方や親神様の親心を感じることができる、実にフレキシブルな本だと思います。

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